Q1  参加に予約は必要ですか?

 

  いいえ、予約不要です。もし、あなたがはじめてキリスト教会に来るなら、敷居が高くて、心臓がドキドキするでしょうね。どんな人たちがどんなことをしているんだろうかって。怪しい、いかがわしい人たちだったらどうしようかとか。ですから試しに、まず一回来てみてください。それで、もし自分に合わないようなら、つづけて無理に来なくてもいいのですよ。

 

 

Q2  信者でなくても礼拝に参加できますか?

  はい、できます。もし居心地がいいようなら、つづけて来てくださると嬉しいです。その結果、やがて神さまを本当に信じることができてクリスチャンになる人もいます。残念なことですが、何年も来た後で、「でも私には向かない」と去ってしまう人もいます。それも仕方のないことです。ですから、もし興味や関心があるなら、試しに一回どうぞ来てみてください。

 

 

Q3  費用はかかりますか?

  いいえ、礼拝や集会への参加は無料です。ただ、しばらく続けて来た後で、「自分の聖書や讃美歌を手に入れたい」と思うなら、そういう費用はかかるでしょう。けれど、しばらくの間、聖書や讃美歌集を無料でお貸しすることもできますよ。

 

 

Q4  献金はしなければなりませんか?

  礼拝中に献金を集めますが、それは自由で自発的なささげものです。その気にならなければ何もしなくて結構です。たまたま財布を持ち忘れた場合も同じです。それは、まったく自由です。

 

 

Q5  どんな服装で行けばいいですか?

  平服でどうぞ。あなたがいつも着ている服装で、ある程度は清潔な身なりで、というところでしょうか。

 

 

Q6  必要な持ち物はなんですか?

  聖書と讃美歌をお持ちなら、ご持参ください。ただ、聖書も数種類の翻訳版(一般的にはおよそ3種類。口語訳、新共同訳、新改訳。それぞれ長所と短所あり)があり、讃美歌集も同様で、教会によって使用しているものがそれぞれ違います。あらかじめ電話などで問い合わせると良いでしょう。当教会では、「口語訳」聖書で「1954年版・第二編付」讃美歌を用いています。お手元になければ、受付でお貸しできますから、どうぞ安心して手ぶらでいらしてください。お待ちしています。

 

 

Q7  讃美歌を歌えないんですが……

  もともと歌を歌うのが苦手という人もたくさんいます。まして、初めて触れる讃美歌を他人と共に歌うのは勇気がいりますね。ですから、礼拝中に何曲か皆で歌う機会がありますが、無理して歌わなくても結構です。あるいは気が向けば、他人に聞こえないように「♪んんん~」って口ずさんでみてもいいですよ。そのうちに慣れて安心できたら、だんだんと大きな声で歌ってもいいです。ずっと「♪んんん~」でも大丈夫。

 

Q8  駐車場はありますか?

  ゴメンなさい。7台分くらいのスペースはありますが、礼拝開始時間の少し前に、だいたい満車になります。早目に来てくだされば駐車できます。また、すぐ近所の市役所駐車場に置かせてもらえます。あるいは、あなたの足が丈夫なら、徒歩か自転車などで来てくださると助かります。

 

 

Q9  小さい子供を連れていけますか?

  保育園児から小学校高学年、中学生、高校生なども礼拝に参加しています。礼拝では「こどものための短いメッセージ」と「大人のためのメッセージ」と二本立てで聖書の説き明かしがなされます。小学生以下は途中で別室で一休みして、また戻ってきます。もし、赤ちゃんや、2、3歳くらいなら、1時間15分ほどの礼拝中ずっと静かにしているのは、とても難しい。子供もかわいそうだ。その場合、無理に抑えつけて静かにさせず、むしろ、お母さんがその子と一緒に礼拝中に礼拝堂の中を自由に歩き回ったり、あやしながら立ったり座ったりしても大丈夫ですよ。そのほうが良いです。人前で赤ちゃんがグズったり泣いたりするとき、若い親たちは居たたまれない居心地の悪い思いを噛みしめます。私たちも、それを同じく体験してきました だから、皆でできるだけ忍耐します。子供の親として、それはお互い様ですから。ワーワーと大騒ぎになると困りますが、『厳粛で神聖な宗教行事で、シーンと静まり返っている』ことを神さまも私たちも要求していません。試しに一回、あなたの大切なお子さんと一緒に来てみてください。お待ちしています。

 

 

10  お祈りのときはどうすればいいですか?

  「独りきりで祈る祈り」と「皆で心を合わせる祈り」と二種類あります。「独りだけの祈り」ができるようになって、習慣になると素敵です。簡単ですから、そのやり方やコツを別の機会に教えてあげましょう。さて、礼拝中に誰かが代表して祈り、そこに皆が心を合わせる祈りを何回かします。特に決まった作法はありません。そのとき心を鎮めて、あなたも心の中でその祈りに重ねて、どうぞ、神さまとお喋りを自由にしてみてください。

 

 

11  若い世代の人はいますか?

  だいたい30数名の礼拝です。幼児、小・中学生、高校生、大学生、青年、若い親たち、4050代の者なども少しいます。それでも割合としては、高齢者のほうが多いです。

 

 

12  わたしのような汚い人間が行ってもいいんですか?

  「正しい人は一人もいない」「人が心に思い図ることは幼い時から悪い」「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった』という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである」(ローマ手紙39節,創世記821節,テモテ手紙(1)1:15)と聖書は断言しました。「汚れた、わがままで自分勝手で狡くて邪悪なことを思い、ついつい行なってしまう私だ」と、あなたは言おうとしているのですか? それなら、ぼくとだいたい同じだ。そういう、あなたやぼくのような罪深い人間を、けれど憐れんで救う神さまです。「自分は汚れた人間だ」と痛感しておられるなら、あなたこそぜひキリスト教会へ、神さまの御もとへいらっしゃい。神さまの憐れみとゆるしを受け取ってください。お待ちしています。

 

 

13  しつこい勧誘を受けませんか?

  ここでお金儲けは一切していません。高額な壺やマジナイ札も販売せず、人を騙したりもしません。一回試しに来てみて、嫌だったら二度と来なくていいんですよ。救い主イエスの弟子たちは言いました、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」(使徒行伝3:6)。そうそう、忌野清志郎も同様の歌を歌いました、「♪宝くじは買わない。だって僕はお金で買えないものを貰ったんだあ」(「宝くじは買わない」)。もしあなたが同じものを教会で発見できれば、そこに留まればいい。発見できなければ、清々として立ち去ればいい。

 

 

14  牧師に悩みを聞いてもらえますか?

  牧師に解決できることもあれば出来ないことも、他の専門家の援助を必要とする場合もあるでしょう。けれど、できるだけ誠実に耳を傾けるように努力します。

 

 

15  礼拝って、どんなことをするんですか?

  礼拝のプログラムをご紹介しましょう――

 

 

奏楽                      3~5分程のオルガン演奏がなされます。

招きの詞           会衆は起立し、司会者が、聖書によって神からの招きを告げます。

讃詠                   讃美歌を歌う。

罪の告白の祈り       会衆は着席し、司会者が代表して祈ります。

ゆるしの宣言           司会者が、聖書によって罪のゆるしを宣言します。

讃美                讃美歌を歌う。

とりなしの祈り        牧師が、皆のために祈ります。

主の祈り            天にまします我らの父よ……」と皆で唱和します。       

        この内容は、受付時にお渡しするプログラム用紙に印刷してあります。

聖書                    牧師が聖書を朗読します。

こどものための短い説教

聖書                    牧師が(別の箇所の)聖書を朗読します。

讃美               讃美歌を歌い、その間に小学生以下は別室で休憩する。

大人のための説教          牧師が聖書を説き明かし、メッセージを告げます。

祈り                    牧師が短く祈ります。

讃美              讃美歌を歌う。ここで、子供たちが休憩から戻ってきます。       

使徒信条         「われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

            われは……」と、古代の信仰内容を共に唱える。

          この内容も、受付時にお渡しするプログラム用紙に印刷してあります。

献金            献金をささげて、参加者の代表1名が感謝の祈りを祈る。     

頌栄                         讃美歌を歌う。

派遣と祝福                牧師が聖書によって祝福の言葉を告げる。

後奏            会衆は着席し、短いオルガン伴奏がある。礼拝終了。

 

   * 礼拝中に数回、「着席。起立」の案内がありますが、

   足腰の不自由な方、体調の悪い方は着席のままで大丈夫です。

   * 「Q4」で答えましたが、献金は自由。しなくても良いです。

 

 

16  聖餐式や洗礼式など、礼拝中に特別な儀式があるときもあるらしいですね。

  よくご存知ですね。『聖餐式』は、十字架にかかる前の晩に主イエスが弟子たちと行った最後の食事を再現する儀式。ダ・ヴィンチの絵『最後の晩餐』を観たことがありますか? あれの再現です。「これはわたしのからだである。これはわたしの血による新しい契約である。わたしを記念して行いなさい」と主イエスが弟子たちにパンと杯を与え、そのようにご自分の十字架の犠牲の体と血によって信徒らを養おうとなさるものです。『洗礼』は主イエスを信じる者とされる入門の儀式。共に、信じる信徒のためのものですが、立ち会って観察することができます。信徒たちがどのようにそれに与るのかを、どうぞ安心して見ていてください。私たちの教会では、毎月第一日曜日の礼拝中に『聖餐式』を執り行います。この礼拝にも、もちろん、あなたを歓迎します。

 

 

17 結婚式や葬式を教会であげてもらえますか?

  両方共、できる可能性があります。けれど商売ではありませんから、例えば結婚式の場合には『キリスト教を知ってもらう勉強会』を当人たちと牧師とで数回行うことが条件です。葬儀の場合、当人か遺族がこの聖書の神を信じていたとか、信じたいと願っている場合に、弔いをしてあげる用意があります。ともに、感謝の(=額を規定しない)自由献金をささげていただきます。ご相談ください。

 

 

18 実は、人と付き合うのが少し苦手です。礼拝後に、「主にある交わりのときを」とか、「お茶でも飲んで、ゆっくりして」などと勧められます。やはり積極的に参加したほうが良いでしょうか?

  兄弟姉妹の交わりは大切です。でも、それも『あなたが困らない範囲で』ということですよ。分かりますか。孤立して独りぼっちで生きるのは、淋しく辛いことです。また逆に、人と一緒に居ることを息苦しく重荷に感じてしまう日々もありますね。もしかしたら、あなたは子供の頃に、「誰とでも、いつでも仲良く付き合いなさい」と誰かに教えられましたか? でも人間は、そんなふうにできていません(ローマ3:9-26)。人と付き合ってもいいし、付き合わなくてもいいんですよ。参加してみたいと思えば、すればいい。気が進まなければ止めておけばいい。簡単でしょう。

 だってね、教会に来るのは神と出会いたくて、神さまと付き合いたくて来るのです。人付き合いが苦手なときには、ただ礼拝だけで、後はサッサと帰ってもいいのです。もちろんです。「いつもサッサと帰っちゃって申し訳ない」なんて、あなたは思わなくて良い。そもそも、いったい誰に対して申し訳なく思うのでしょう? 神さまに対して? いいえ、神さまはそれを不快にも不都合にも思われません。じゃあ、周囲の人間たちに対してですか? それは余計な気苦労です。その気苦労のせいで、かえって神さまのことがよく分からなくなります。危ない、危ない。「~でなければならない」「~であるべき」などと、人間は他の人間や自分自身を強制したり勝手に束縛したりしてしまいやすい。けれど私たちクリスチャンは、「自由になるために召し出され」ました(ガラテヤ5:13)。ですから人間的な様々な束縛や慣習や思い込みから、あなたは、もっともっと自由にされていいのです。だんだんと少しずつ、そうなっていきます。